エピローグ

 日本人はあまりに“靖国”のことを知らなすぎる、というのは間違いない事実である。日本の教育関係の人々も、事実を一切知らせようとしてこなかったのは疑いのないところであろう。

ただ、これには、かなりややこしい訳があって、米国でこの靖国の議論があるとき、靖国を東京招魂社へ戻させたらどうか、といったことが上がったらしい。ところが、結局、そのままにさせておくのがもっともよかろうということになったのであった。

思うに、どうもその理由というのが、靖国をそのままにしておくほうが、すなわち、第二次大戦時以前の精神構造の“おくれた日本”に固執する日本人の方が、あまり真実を知ってしまう賢い日本人よりもずっとやりやすい、といったようなものではなかったかと、私は推測するのである。米国の優秀なリーダーたちは、日本人よりも二枚も三枚も上手なのであろう。

ご存じのとおり、日本がロシアや中国をを相手に戦争に突き進んでいった裏には、国に気の遠くなるような大金を貸し付けるユダヤ資本家がいて、日本は彼らの非常に都合のよい“お得意さん”であったことは、多くの人が知るところであろう。そして、日本人が“靖国”の精神にどっぷりつかりきり、金をたくさん借りて、高価な武器をもたくさん買ってくれるほうが、ユダヤの大資本家にとってはなにかと都合がよいのは当然といえば当然である。

私は、この一部のまことに知恵の働く“ユダヤ人”から、そろそろ日本人も卒業する時を迎えていると思おうのであるが、同感してくださる同志の方は、きっとたくさん居られると深く確信している。