「靖国」に埋もれている、決定的に重大な真実

 

 稀代の妄想家が、裃(かみしも)を着せられ、絶対的権威となってゆく、まことに奇想天外のプロセス

 

(1)プロローグ

 一切れのパンという題名がつけられた、ナチスドイツ下のヨーロッパでの話をご存じだろうか。ナチスドイツ軍がルーマニア国籍の人々を強制収容所送りのため列車輸送を開始した時のことである。輸送列車から脱走を試みた人がいて、そのうち奇跡的に脱走に成功した若者が、のちに残した手記で、今も語りづがれているものである。日本でも、かつて小学校の教科書にも載っていたことがある有名な話であるが、このルーマニア男性が列車脱出からの別れ際に、ユダヤ人の老人からハンカチにつつんだ小さな包みを受け取った。「この中には大切なパンが入っている。このパンは、脱出後必死に努力して自由の身になれるまで、決して簡単に開けてはならない。」と。

この男性はこの包みを最後の希望として、ドイツ兵に捕まる寸前になりながら、その後ひたすら耐え忍びきって奇跡的にルーマニアまで帰り着いて、自由の身になったのであった。

後日、この男性がこのハンカチの中を恐る恐る開けてみると、なんとそこには、列車の底板を剥いだ小さな木の破片だけが入っていたのであった。

 

一瞬、絶句である。まさに頭がくらくらするような話である。このユーマニア人の男性は、とても立派な良い人だったのだろう、このユダヤ人の長老に感謝を込めて、この手記を後世にのこしたのだろう。

 

でも、ほんとうにそんなオチでよいのか、という複雑な絶望感を覚えるのは私だけではないであろう。世の中の大半の人は、木の欠片を最後までにぎりしめられるような人ではにのに、とか、ユダヤとはそんな恐ろしいウソをつくのか、とか、ナチスに殺されなかったらそれで、めでたしめでたしなのか、等々。このパンの話が、小学生の作文の題材としてはもってこい、ということだけはたしかであるが。

 

 

明治維新直前、日本は、西欧列強国の砲艦外交と呼ばれる一方的な軍事的圧力で、国家消滅寸前まで追い詰められた。そのとき、多くの日本人が、その最後の希望として日本はどこの国にも負けない偉大な皇国の伝統がある、と必死で握りしめてきた,“のが靖国の精神であることは、歴史的事実である。

 

 

 

わたくしは、最近、靖国神社の成立の経過を知れば知るほど、靖国とは、ユダヤ人の長老からこのルーマニアの若者に渡された、パンのごときものではないのか、という思いに駆られるのである。握りしめて必死に走ってきたが、恐る恐るよく見てみると、我々が希望の拠り所として、そしてこれからも日本人の希望として握りしめていけるようなパンではないのが、残念ながらわかってしまったのである。

 

パンでないと分かってしまったら、捨てる他に道がない。日本の学校教育は、目を澄まして、素のまま見つめると驚くほどお粗末な、このお社のことをほとんど教えてこなかった。不思議なことである。

 

 

 

 

いよいよ本当に日本・日本人が世界を本当にリードしなければならない新しい時代が来たと思う人は決して少なくないであろう。

もし、そうであるなら、そして、本気で新しい日本を作ろうとの決意するなら、靖国と決別できるのである。